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Nicholas Feltron |
ここまでお互いに批評する機会が少ないと不満も漏らしていたクラスメートたちも、たっぷりじっくりコメントしあって、どこかしら嬉しそう。たしかに、本気のコメント(批評)は、だいたいグサッとやられるわけですが、それはそれでお互いに愛情がないとできないっす。
今日は、講師のひとりTimoが紹介してくれたHarvard Business Review最近の記事が面白かったので紹介します
▼We've Reached Peak Infographic, and We're No Smarter for It
http://blogs.hbr.org/cs/2013/03/weve_reached_peak_infographic_and_were.html
GOOD Magazineにも関わってきて、本人もインフォグラフィック制作者でもある Dylan C. Lathropによるインフォグラフィック時評。タイトルを意訳すると「インフォグラフィックの流行のピークにきてるよ。そろそろ落ち着こうぜ。」といったところ。
インフォグラフィックの流行の最前線にいる張本人が、現在の大流行に懸念を示しています。
私自身もインフォグラフィックのパワーに少々エキサイトしていたところだったので、「たしかに、そうだよ。うん。」と、うなずける記事でした。
Dylanは、1920年代のIsotype Projectの話からはじめます。インフォグラフィックは、何も今に始まった話ではないと。その昔から(さらにさかのぼればアルタミラ洞窟にもいっちゃえると思いますが)ビジュアルで伝えるというのは、社会的、文化的、政治的意義を十分持っていたのです。
Arntzのつくったピクトグラムは美しい。一覧を眺めるだけでも価値があると思います。
▼Isotype Project
http://gerdarntz.org/isotype
Dylanの要点は、数字や裏付けもないのにイラストレーションで派手にみせてるだけのインフォグラフィックは、ちょっとどうなのよということです。 つまり、「良いね。かっこいいね。」というだけではなく、インフォグラフィックが間違ったイメージを伝えてしまうという負の部分にもしっかり目を向けよう よと。Dylan本人も、そういった経験がないわけではないので、潔く負の過去を認め、Isotype Projectを率いたひとりでもあるOttoにゆるしを求めています。
グラフィックは、ある種のパワーなので、パワーを扱うひとたちは、ある程度ポリティカルな判断の一部になっているということを思い出させてくれます。
インフォグラフィックが多様される広告の世界はパワーポリティクスの世界でもあります。そのなかでエシカルにふるまうのは、なかなか難しいことではありますが、インフォグラフィックがさらなる広がりと信頼を得ていくのであれば、制作者の倫理観が今後を左右していきそうです。
Honest-to-goodnessなデータビジュアライザーとして以下に名前のあがっている人たちのリンクも勉強になります。
There are still honest-to-goodness data visualizers out there, like Bloomberg Businessweek's Jennifer Daniel and Facebook's Nicholas Felton, and other talented artists pushing infographics in new directions, like New York Times contributor Andrew Kuo.冒頭にも画像とリンクをはったNicholas Feltonは毎年個人の行動をアニュアルレポートしています。正直、友達にいつだれに会っただとか彼の生活には関心ありませんが、まとめられ方が美しいのでついつい眺めてしまいます。
日本語のサイトだとビジュアルシンキングさんがいつもフレッシュな情報を届けてくれます。 いつもお世話になっております。
最後に、尊敬する友人(翻訳者ではない)の仕事のひとつでもあるこの本を紹介。タイトルにインフォグラフィックスとあるし、まさにポリティカルなテーマです。
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